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石井十次日本福祉事業の先駆者 石井十次 (1865年〜1914年)宮崎県児湯郡上江村(現在の高鍋町)生まれ。 15歳で海軍士官を志したが、病気にかかり帰郷。 16歳で結婚し上江小学校の教師となる。 半年後、警察署の書記になったが難病を患い、診察を受けた医師に勧められ岡山の医学学校へ入学。 卒業して診療所で働きはじめたとき、1人の子供を預かることになり、それをきっかけに診療所をやめ我が国最初の孤児院を岡山で作った。 その後、木城町茶臼原に分院を設置し、岡山から児童たちを移住させ、さらに大阪にも分院を設けた。 50歳で亡くなるまで社会福祉事業に身を捧げた。
この場所は、今でも住居として大切に管理されています。 お問い合わせ先 高鍋町役場 TEL(0983)22−1311 FAX(0983)23−6303
まっすぐみつめるその先には、 多くの子どもだちの未来が 見えていたのかもしれません。 そんなことを感じさせる像です。
写真左が資料館、右は友愛社 晩年を過ごした場所に建つ資料館。 当時の写真・資料・建物がそのまま保存されています。 隣接している友愛社では、石井十次の精神が今でも受け継がれ、敷地内では子どもたちの楽しそうな笑い声が響いています。 お問い合わせ先 宮崎県児湯郡木城町大字椎木644 TEL(0983)32−2025
茶臼原農林公園の近くには「石井十次先生塋域」と書かれた石碑が建っています。 これは、塋域=お墓で、近くにお墓があるということを示しているようです。 お問い合わせ先 宮崎県児湯郡木城町大字椎木644 TEL(0983)32−2025 |
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